平等院

この地はもと源融の別荘で、その後藤原道長の別荘となりやがて子の頼通に譲られました。
宇治関白頼通は永正7年(1052)これを寺に改め平等院とします。

創建当時は善美を尽くした阿弥陀堂を初め、五重塔、五大堂、金堂、講堂など堂塔伽藍が建ち並び、
その境内は今の宇治の中心部の殆どを含む広大なものでした。

しかし建武3年(1336)の兵火に遭ってことごとく失われ、
今は僅かに阿弥陀堂、鐘楼、観音堂(釣殿)を残すのみです。

…この世をば我が世とぞ思ふ望月の…と歌った道長、頼通の栄華も、
永正7年は仏法が廃れるという末法初年に当たり、憂鬱な暗い影が付きまとっていました。
来世こそは阿弥陀の極楽浄土に救われたいという浄土思想の表れがこの阿弥陀堂です。

頼通は可能なかぎりの華麗な寺院を建て、
極楽を不審に思わば宇治の御堂を拝せよといって、浄土の姿をこの現世に表わそうとしました。

北から見た鳳凰堂          本尊 阿弥陀如来 
              

大原出版企画

「宇治・平等院
黄檗・万福寺」
より
本尊阿弥陀如来
写真借用

 
 平等院型石燈篭

 平等院正門