塔の島(浮島)

平等院を出て川風を求め塔の島まで来ると、
わが国最大の石塔高さ約15mの十三重の石塔が見えてきます。
弘安9年(1286)興正菩薩叡尊は宇治橋架け替えの際、
宇治橋がしばしば流失するのは乱獲される魚霊の祟りであると考え、その供養のために建てたと伝えられています。

度々の洪水に石塔は流され、宝暦6年(1756)の大洪水による流失を最後に約150年間地中に埋没していたのを、
明治41年発掘し九重目と笠石を後補して復活しました。
今九重目の石は藤森神社の手水鉢の台石に、笠石は興聖寺の庭園に残されています。

塔の島の下の洲には宇治川先陣争いの大きな碑があります。
この辺りは昔佐々木四郎高綱と梶原源太景季が、先陣を争った橘の小島が崎の跡と伝えられています。

この冊子「宇治周辺」は昭和50年頃には「宇治 平等院・黄檗 万福寺」と題して、
平等院、万福寺の受付にお寺の案内書としてもおかれていました。


 十三重の石塔(重文)
   
春は桜の名所です  
            
宇治川先陣之碑   
鵜飼船の鵜