壷笠山城

京阪石坂線穴太駅から野添古墳を越えて、四ツ谷川の渓流に沿って山へ入ります。
昔この辺りには坂本から京都の一乗寺へ抜ける白鳥越えの主要な街道が通っていました。

壷笠山は標高426m名前のように壷を伏せた形をしています。
大手道の石段の跡をたどり山道を登ると、東西約85m、南北約60mの楕円形の平坦な場所へ出ます。
ここが本丸跡です。 
ところどころには野面積のくずれた石垣も見られます。

浅井、朝倉勢はここ壷笠山城へ立て籠り、信長は「干殺し作戦」即ち兵糧攻めを謀ります。
しかし、壷笠山は比叡山の所領で延暦寺からの救援が続き、
信長は延暦寺に対し取り上げた延暦寺の荘園を返すことを条件に、浅井、朝倉から手を引くことを求めました。

信長の要請に応じなければ、比叡山を焼き討ちすると宣告したのですが、比叡山はそれを拒絶しまします。

一旦は浅井、朝倉との和睦が結ばれたのですが、
これがもとで翌年元亀2年9月12日信長による比叡山焼き討ちが行われました。

近江にはこのような山城のあとが今も1300ばかり残されているそうです。

 壷笠山城 本丸跡  本丸への大手道
            
壷笠山 正面三角の山   四ツ谷川 渓流の道