日吉東照宮

慈眼堂を出て表の権現坂を西へ行くと、すぐに日吉東照宮への石段があります。
元和2年(1616)4月17日家康が75歳の生涯を終えると、
遺命により遺体は静岡久能山へ葬られ、翌年には日光東照宮へ遷宮されました。

元和9年天海はここ坂本にも東照宮を造営し、
寛永11年(1634)家光の命を受けて現在の権現 造りの姿に再建いたしました。
寛永13年日光東照宮も家光の命で建て替えられ、そのとき雛形になったのがこの日吉東照宮です。
正面の拝殿と奥の本殿を石の間でつなぎ一つの建物としたのが権現造りです。
社殿には華麗な彫刻と彩色が施され、唐門、透かし塀とともに重文に指定されています。

家康を神とするにあたり、天海は山王一実神道により「権現」を主張し、
金地院崇伝は吉田唯一神道による「明神」を主張しました。
しかし天海は秀吉の豊臣大明神が既に滅亡したことを取り上げ、
明神は不吉とし、家康の東照大権現が決まりました。


正面 拝殿 

 権現造 左拝殿 右本殿 
             

唐門と透かし塀 

 参道から正面琵琶湖を望む