慈眼堂

滋賀院の横から裏への石段を上がると慈眼堂に出ます。
慈眼堂は慈眼大師天海の廟所で、堂内には慈眼大師座像(重文)が祀られています。

天海の出自については陸奥国会津の出身とされていますが、
天海自身が出家前の俗世間のことはすべて忘れたとして語らず、全て謎に包まれています。
比叡山、園城寺、興福寺で修行を重ね、
比叡山の焼き討ち後関東へ戻り、川越喜多院の住職となり家康と出会います。

その後家康の参謀として仕え、慶長12年(1607)家康から比叡山探題に命じられて、
焼き討ち後の延暦寺復興に尽くしました。
その後も家康、秀忠、家光3代に仕え、寛永20年(1643)108歳の長寿で亡くなりました。

境内には慈眼大師供養塔をはじめ、桓武天皇、家康、紫式部、清少納言などの供養塔、
それに歴代天台座主の墓が並び、一段高いところには13体の阿弥陀石仏があります。

 慈眼大師供養塔 奥石塔後陽成天皇供養塔    十三石仏
           

 苔と紅葉の美しい秋の境内
 
恵日院(慈眼堂)表門