滋賀院門跡

石積みと里坊の町坂本にあって、ひときわそそり立つ穴太衆積みの石垣と白塀、
中央に勅使門を構えた滋賀院は、延暦寺の本坊で江戸時代末までは天台座主の住まいでした。
当時の天台座主は代々皇族の出で、滋賀院門跡と呼ばれています。

元和元年(1615)慈眼大師天海は、
後陽成上皇よりこの地に京都法勝寺の御殿の一宇を下賜され、
明暦元年(1655)には後水尾天皇より滋賀院の号を賜わりました。

当時の建物は明治11年の火災によって焼失し、
現在の建物は、明治13年に山上無動寺谷から移設し再建されたものです。
ここ宸殿では今「光秀大博覧会」が行われており、黒衣の宰相といわれた天海の鎧も展示されています。

宸殿西の庭園は小堀遠州作と伝えられる池泉鑑賞式の庭園で、
石橋を挟んで左に亀島、右の滝に鶴の石組みが見られます。
その他座主接見の間や渡辺了慶、狩野派の襖絵など、各部屋に滋賀院御殿といわれる荘厳さが感じられます。


滋賀院勅使門 

 滋賀院玄関
           

 光秀大博覧会

  滋賀院庭園