光秀石灯篭

西教寺の前から横川への山道をたどること30分、山中に飯室谷があります。
飯室不動堂は、根本中堂、釈迦堂、横川中堂、無動寺明王堂と並ぶ五大堂の一つです。

ここは無動寺谷とともに千日回峰の拠点であり、
先代住職は戦後2回の千日回峰を成し遂げた酒井雄哉大阿闍梨、
そして現在も回峰行を済ませた藤波源信大阿闍梨がおられます。

さてここの境内に人知れず光秀の石灯篭が立っています。
この石灯籠には「慶長二十年二月十七日奉寄進 願主光秀」と彫り込まれています。
慶長20年(1615)といえば光秀没後33年が経っています。
光秀は小栗栖の藪で殺されたのではなく、ひそかに比叡山に落ち延び
後の天海になったという伝説の裏付けとされるものです。

天海が大坂冬の陣の発端となった方広寺銘鐘事件で
豊臣家を滅亡に導いたのも光秀としての恨みからといわれ、
また日光の地に明智平と名付けたのも天海であり、我が明智の名をそこにも残したとされます。

  中央光秀の「光」が見える  飯室谷 境内
          

飯室不動堂 
   
天海の居た比叡山 南光坊跡