篠山城

「でかんしょ節」で知られる丹波篠山まで足を延ばしました。ここはもう兵庫県です。

篠山城は慶長14年(1609)徳川家康によって西国諸大名を動員して築城され、松平康重が初代城主となりました。
明治の廃城令後も大書院は残されたが、昭和19年の火災で焼失、平成12年再建されました。
天守閣は当初からなく、天主台からは八上城のあった丹波富士(高城山)が望めます。

八上城は室町時代から戦国時代まで、丹波地方の有力国人波多野氏の山城でした。
光秀は天正7年(1579)八上城の波多野秀治を兵糧攻めで攻略し、秀治に降伏を勧誘します。

そのとき光秀は自分の母を人質に差し出し、秀治、秀尚兄弟らの命を保証し安土の信長のもとへ行かせました。
しかし、信長は秀治らを許さず安土で処刑します。
そのため人質の光秀の母も八上城で磔にされ、
その怨恨が本能寺の変を招いたとの伝承がありますが、これは後世の創作に過ぎません。
やがて八上城落城に伴い、城は篠山城へと移されていきました。


  復興した大書院 本丸跡 
                                

 天守台から八上城址を望む

 御徒町武家屋敷 安間家