蜻 蛉

宇治では浮舟の姿が消えて大騒ぎとなりました。
事情をよく知る女房達は、宇治川へ身を投じたものと推測しましたが、
亡骸もないまま母を説得して葬儀は行われました。

薫の君は宇治へ匿ったことに責任を感じ深い嘆きに包まれ、匂宮は悲しみのあまりに病に伏せてしまいました。
薫君は四十九日の浮舟の法要を手厚く営み、遺族の世話もいたしました。

蓮の花の盛りのころ、明石の中宮の法華八講が催され、
そのとき薫君は正室女二の宮の義姉女一の宮の美しい姿に心を奪われるのでした。
薫君の心にはいろいろな姫君が懐かしく思い出されてきますが、
最後には宇治の姫君、大君、中の君、浮舟に収斂され、それさえも蜻蛉のようにはかなく思われるのでした。

蜻蛉石は宇治橋から三室戸寺へ向かう途中にあり、石には阿弥陀三尊が線彫されています。

  蜻蛉の碑  宇治橋の上流
           
 
宇治橋の下流

  蓮の花