圓徳院

高台寺の向かいに圓徳院があります。
高台寺を建てた北政所は、慶長10年(1605)この地に伏見城から化粧御殿を移し、住まいといたしました。
北政所58歳の時で、それから寛永元年(1624)77歳でこの地で亡くなるまで、19年間の余生を過ごしました。
その間北政所を慕って、大名や禅僧、歌人、茶人など文化人が集い文化サロンでもありました。

写真の北庭は伏見城から化粧御殿とともに移されたもので、
賢庭の作になり後に小堀遠州が手を加えた枯山水の池泉回遊式庭園です。
桃山時代の庭園を象徴する豪華な石組が見られます。

北政所の死後、ねねの兄の木下家定とその次男利房によって、三江紹益を開基とする圓徳院が開かれ、
木下家の菩提寺として高台寺の塔頭となりました。

境内の三面大黒天は、顔の三面に大黒天、毘沙門天、弁財天の顔があり、秀吉はこれを念仏として出世を成し遂げました。
出世大黒天ともいわれ現世利益の信仰を集めています。


  襖絵 雪月花図 志村正作 秀吉の像 
             

 圓徳院入り口

 圓徳院 三面大黒