月真院

圓徳院から少し北へ行くと右手に月真院があります。
ここも高台寺の塔頭ですが、門の前には御陵衛士屯所跡の碑が建っています。

幕末新選組の参謀を勤め文学師範でもあった伊東甲子太郎は勤皇の志が強く、
幕府中心の近藤勇らに対立を深め、組を離脱して同志15名らと孝明天皇陵の衛士としてここを屯所にしました。

しかし斎藤一は近藤勇の密偵として伊東の同志に加わり、
伊東達が秘かに近藤暗殺を計画していること伝えます。
慶応3年(1867)11月18日近藤勇の妾宅へ招かれた伊東甲子太郎は、
その帰途新撰組によって七条油小路で惨殺されました。
急を聞いて駆け付けた藤堂平助ら4名も殺されています。
坂本龍馬、中岡慎太郎が近江屋で殺された3日後のことでした。

ここは非公開ですが、織田有楽斎の植えた椿があり、秋には萩の名所としても知られていました。
ねねの道には昔懐かしい人力車が通り、正面には大倉喜八郎の建てた祇園閣が風情を添えています。


  御陵衛士屯所跡の碑  月真院境内 
            

  ねねの道

  大雲院 祇園閣