北野天満宮

北野天満宮は全国の天満宮、天神社の総本社で、
最近では学問の神として受験生の信仰を集めています。

道真公の死後都では疫病がはやり、909年道真公の政敵藤原時平が39歳で亡くなります。
923年醍醐天皇の皇子保明親王の死、
930年には清涼殿に落雷して大納言藤原清貫ら数名が死傷し、
そのショックで3か月後には醍醐天皇も崩御されました。
このほかにも不幸は続き、これらは道真公怨霊の祟りとして人々から恐れられ、
朝廷からは死後の道真公に正一位大納言が授けられました。

942年右京の巫女多治比文子(たじひのあやこ)のもとに道真公の霊が現れ
「北野に道真の霊を祀れば、京も治まるだろう」告げます。
若く財力のない文子は右京に祠を作り道真公の霊を慰めました。これが天神信仰の発祥地です。

天歴元年(947)平安京の天門に当たる北野の地に社殿が建てられ道真公の霊が鎮座されました。
現在の本殿は秀吉の遺命により、慶長12年(1607)秀頼が寄進したもので
豪華絢爛な彫刻が施された八棟造は国宝に指定されています。


 楼門と牛の絵馬   三光門(重文
          
 
道真公の母を祀る 伴氏社  
    
     末社 文子天満宮