大津事件(1)

旧東海道である京町通りの街角に「露国皇太子遭難の地」の碑があります。
明治24年5月11日ロシア皇太子ニコライは
宿泊していた京都常盤ホテル(現京都ホテルオークラ)から人力車に乗って三井寺へ向かいます。
三井寺観音堂からの琵琶湖の眺望を楽しみ、
その後、太古汽船で唐崎神社に詣で、滋賀県庁で昼食をとりました。

午後1時過ぎ県庁を出て京都へ帰る途中、この辺りまで来たとき
沿道の警備にあたっていた巡査津田三蔵が突然サーベルを抜いて皇太子に斬りつけました。
皇太子は頭部に傷を負いましたが、大事には至らず県庁で応急処置を受けて京都へ帰って行きます。

津田三蔵はその場で捕らえられました。
西南戦争で自害した西郷隆盛が実際は生きていて露国に逃れ、
今回ニコライ皇太子とともに日本へ帰国したとの噂が報じられていました。

そうなれば津田が西南戦争に従軍して得た勲章も西郷によって、
取り上げられることになるだろうことに恨みを抱いたためだともいわれています。

露国との関係を懸念された明治天皇はニコライを見舞うため12日夜京都へ着かれました。
       


旧東海道街並み 大津魚忠 

 三井寺観音堂
         

観音堂から見た琵琶湖