大津事件(2)
13日ニコライはすべての予定を取り消し、神戸港の軍艦アゾ―ヴァ号に移り、
明治天皇も神戸桟橋まで見送られました。
津田三蔵への裁判は大津地方裁判所で行われましたが、
露国との関係を恐れた政府はこの事件を一般の「謀殺未遂」とせず、
天皇、皇太子を殺害しようとした「大逆罪」でもって死刑にすべきとして、裁判は大審院にゆだねられました。
しかし、大審院長児島惟謙は大逆罪は外国の皇太子には適用できないとして、津田は無期徒刑となりました。
法を曲げることなく結審したことは高く評価されました。
天皇がわざわざニコライへ謝罪のため京都まで出向かれたにもかかわらず、
それが無視され皇太子は神戸から帰国すると聞き、
千葉県の女性畠山勇子はいたたまれずに京都へ駆けつけました。
そして勇子はニコライへの謝罪の気持ちを込めて、日本政府、露国官吏などへあてた遺書10通を残し、
5月20日京都府庁の前でカミソリでのどを切って自害しました。
烈女畠山勇子27歳の墓は五条松原の近くの末慶寺にあります。
写真は滋賀県庁
大津地方裁判所 | 京都府庁 |
末慶寺 | 京都ホテル(常盤ホテル)発祥の地記念碑 |