寺田屋お登勢の実家升屋跡

丸屋町の菓舗光風堂の前に平成25年に建てられた「寺田屋お登勢の実家升屋跡」の碑があります。
お登勢は公事宿「升屋」の主山本重助の次女として生まれ、
18歳で伏見の船宿寺田屋6代目伊助へ嫁ぎました。
放蕩者の伊助に代わり船宿を切り盛りし、伊助が35歳の若さで亡くなると
そのまま女将として寺田屋を継ぎました。

坂本龍馬もお登勢を姉のようにしたい、妻となるお竜をお登勢の養女として預けています。
その間慶応2年(1866)1月23日竜馬が寺田屋で伏見奉行の捕り手に襲われたとき、
お竜とともに竜馬の危機を救い、そのほか幕末志士たちの面倒もよくみています。

大津の町には国の登録有形文化財に指定された初田家、中野家、大津魚忠など
20戸ばかり古風な町家が存在します。
京町屋風のそれらの建物には、1階に出格子、ばったり床机、
2階に虫籠窓、屋根には煙出しの小屋根なども見られます。
初田家2階の窓は家の前を行く大津祭の曳山巡行の観覧席にもなります。

 伏見寺田屋  でんや(中野家住宅)
           
 初田住宅
初田家  屋根に飾られた鍾馗さん