大津京と天智天皇 

663年白村江の戦で唐、新羅の連合軍に敗れ、
敵の日本襲来を恐れた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は667年都を飛鳥から近江に遷しました。

中大兄皇子は母斉明天皇の崩御後、皇太子のまま6年間即位せず政務に当たってきましたが、
668年大津京で天智天皇として即位します。
皇太弟には弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が定められました。

しかし天智はわが子大友皇子を太政大臣に任命し、あとの皇位を譲ろうと企みます。
671年10月病床にあった天智は大海人皇子を病床に迎え、後事を託すのですが、
兄の本心を知る大海人はそれを辞退し、その日のうちに出家して吉野の離宮へ引き上げて行きました。

人々は「虎に翼をつけて放てり」と噂し、
両者の間を取り持ってきた藤原鎌足も今はなく、近江と吉野の対立は激化してゆきます。

同年12月天智天皇は波乱に満ちた46歳の人生を閉じました。
大津京跡近くには天智天皇を祀る近江神宮があります。

 

近江神宮 

 天智天皇 山科陵
        
 大津京跡 錦織遺跡

  天智天皇歌碑   大津京シンボル緑地

    秋の田のかりほのいほの苫を荒み わが衣手は露にぬれつつ