粟生光明寺

総門の前には「浄土門根元地」と刻まれた大きな石碑が建ち、
総門をくぐると正面に御影堂への緩やかな石段が続き、
左手に行くと秋には紅葉が美しい女坂があります。

一の谷の戦いで心ならずも若き平敦盛を斬った熊谷直実は、
その無常を悔いて新黒谷に法然を訪ね、出家して蓮生坊となります。

建久9年(1198)蓮生坊はここ西山に草庵を作り、
法然を開山に迎えて「念仏三昧院」としたのが光明寺の発祥です。

法然は比叡山で修業中の23歳のとき、
この地で一夜の宿を借りた家主から立派な僧となって浄土の教えを、
まずここで最初に聞かせて欲しいと頼まれていました。

法然は20年の時を経て、その約束を果たし「念仏による極楽浄土」を説き、
ここが浄土根元の地となりました。
御影堂に本尊として祀られている「張子の御影」は、
法然が建永の法難で讃岐へ流されるとき、
法然自らが母の手紙を水に溶いて作り、後世の形見としたものです。

 (このホームページ 「50法然ゆかりの地を訪ねて」も併せてごらんください。)

光明寺入り口   勅使門と紫香楽庭
           

 圓光大師(法然)廟参道

 圓光大師火葬塚