長岡宮跡

長岡宮大極殿公園は向日市にあり、阪急西向日駅から歩いて5分ばかりです。
桓武天皇は奈良の仏教や貴族の勢力を排し、
人心一新を図るため、延暦3年(784)都を平城宮から長岡へ遷都しました。

しかし,その翌年遷都・造営の責任者である藤原種継が暗殺されます。
犯人の大伴継人らが捕らえられましたが、
桓武天皇の皇太弟早良親王も事件に関与したとして、流罪となり憤死しました。

その後、桓武天皇の母高野新笠、皇后乙牟漏の病死、皇太子安殿親王の発病、
疫病の流行、洪水など不幸が続き、これらは早良親王の祟りであるとして、
延暦13年(794)都は不吉な地長岡を離れ、平安京へ遷っていきました。

長岡京の歴史は僅か10年足らずで、
昭和23年から発掘調査が始まるまではその存在さえ疑われた幻の都でした。
しかし写真で見るように計画図では東西4.5km、南北5.2kmの規模があり、
その政治や儀式の中心となったのがここ大内裏の大極殿でした。

 

 大極殿公園(大極殿跡)  長岡宮跡碑
           
 長岡宮大極殿碑  長岡京図