下鴨神社と鴨長明

枕草子や徒然草とともに 三大随筆に数えられる方丈記の作者鴨長明は、
久寿2年(1155)下鴨神社の禰宜鴨長継の次男に生まれました。

長明は7歳で神職につき、この年従5位下に叙せられています。
父は長明16歳のとき下鴨神社禰宜の職を辞して一族の鴨祐季に譲り 
長明と兄長守の将来を祐季に託しました。

しかし長明18歳のとき父が亡くなると
下鴨神社禰宜職への前段階である河合神社の禰宜職は長明兄弟に与えられず、
失意の長明は社務をおろそかにして和歌の道に励みました。 
兄長守は父の死の5年後に若くして亡くなります。

長明は47歳のときに後鳥羽院の和歌所寄人となり、
後鳥羽院の勅撰歌集「新古今集」には
「石川やせみの小川の清ければ月も流れをたずねてぞすむ」
の歌など長明の歌10首が選ばれています。
「せみの小川」は下鴨神社を流れていた清流で、今「楢の小川」にその面影がしのばれます。


 
鳥居
参道 左 河合神社への道
                   

 世界遺産の石碑 

 本殿前の中門