河合神社 方丈庵

元久元年(1204)長明50歳の春、河合神社の禰宜職に空きが生じ、
長明は後鳥羽院の推薦を得ますが、下鴨神社の惣官鴨祐兼はわが子祐頼を後任に推します。

理由としては官位が祐頼の方が長明より上であり、
年令は祐頼の方が若いが社務の経験を充分に積んでおり、
現惣官の嫡男祐頼こそが適任であるとして長明は退けられました。

その長明ゆかりの河合神社には、
後に日野の栖となった方丈の庵が復元されています。
庵は大原から各地を転々として日野に落ち着きましたが、
移動に便利なように組み立て式になっており、
2台の車で資材を運び、庵は長明一人で組み立てたといいます。
柱の下には土台が置かれ、式年遷宮による本殿の移動と同じ工夫されています。

方丈の名が示すように、広さは1丈(約3m)四方で、畳約5畳半の広さに過ぎず、
天井の高さは7尺(約2m)です。
昔の長明の邸宅に比べると100分の1にも及ばないが、夜臥す床も昼過ごす場所もあり、
ひとり身を宿すには充分であると方丈記に綴られています。


 方丈の庵 
 
 方丈の庵内部
        

 河合神社

 境内のせせらぎ「楢の小川」