出家して大原へ

河合神社禰宜への最後のチャンスを失った長明に
後鳥羽院は下鴨神社の裏社を官社へ格上げして正禰宜の職を与えようとしますが、
それを断り神職も和歌の道も断念しました。

元久元年(1204)50歳にして家を出た長明は、しばらく東山の真葛が原にいましたが、
その後大原に移り来迎院辺りで出家し蓮胤となりました。

和歌の道を離れ、今度は中原有安について琵琶、琴を学び管弦の世界に入ります。
琵琶の演奏者として認められるとともに、楽器の製作にもあたり、
自作の琵琶「手習」を後鳥羽院の所望で差し上げたこともありました。

しかし大原での人の出入りが多くなると、長明はさらに静寂な隠棲の地を求めて、
日野家出身の禅寂(日野長親)を頼って方丈記の舞台となった日野の里へ居を移しました。

日野へ移ってからも、3代将軍実朝に和歌の指南役として鎌倉に招かれましたが、
それを辞退して帰ってきました


藁ぶきの屋根が残る大原の里

菜の花の大原の里
        

 三千院 往生極楽院

 寂光院 本堂