日野 誕生院

親鸞は1173年醍醐の南にある日野の里で
藤原北家の流れをくむ日野有範の子として生まれました。
幼名を松若丸といいます。

父有範は儒学や歌道で朝廷に仕え皇太后大進という官職にありましたが、
親鸞の幼い時に亡くなったとも、あるいは仕えていた皇太后が亡くなり
親鸞4歳のとき父は出家して三室戸寺に入ったともいわれます。
母は源義家の孫吉光女と伝えられますが、8歳のときに死に別れました。

今、日野には法界寺の裏に昭和6年に建てられた誕生院の本堂があります。
境内には親鸞聖人童形の像と歌碑、それに産湯の井やえな塚も残されています。

左の歌碑には「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」とあり、
これは親鸞が9歳で得度したとき、得度の式は明日行おうといわれたのに対し、
今夜嵐が来るかもわからないから明日を当てにせず今日済ませてくださいとの気持ちを詠み、
その日に式は行われました。


 誕生院 本堂
 親鸞誕生の碑
        
親鸞産湯の井
 日野家御廟所 親鸞両親らの墓