銀閣寺

銀閣寺として親しまれているこのお寺は、正しくは東山(とうさん)慈照寺です。
足利義政は文明14年(1482)この地に東山山荘を築き花の御所から移り住みますが、
最後に夢を託した銀閣の完成を待たずして延徳2年(1490)に56歳の生涯を終えました。

義政の没後、その遺志により山荘は臨済禅宗相国寺派の禪刹となり
彼の院号に因んで慈照寺称せられます。

中門をくぐると庭園が広がり、池のそばには銀閣(国宝)と呼ばれる観音殿があります。
宝形造り重層杮葺の瀟洒な楼閣建築で、
下層の心空殿は和風書院造、上層の潮音閣は花頭窓を配した
唐様の禅宗仏殿風に造られており内部に観音像が祀られています。
金閣の金箔張りに対し、銀閣は黒漆のままで銀箔は張られていません。

富士型の向月台とさざなみを思わせる白砂の銀沙灘は、
後ろの月待山から上る月の光を浴びると幻想的な庭の風情が見られますが、
いずれも江戸時代の作と思われます。


 宝処関 花頭窓から見る庭園
 向月台 銀沙灘と銀閣
   
 向月台
 さつき咲く庭園