銀閣寺庭園

銀閣寺の庭園は義政の好んだ洛西「西芳寺(苔寺)」の庭園を模して造られ、
上の庭は枯山水、下の庭は池泉でもって構成されています。
上の庭は久しく埋没していたものを、昭和6年に発掘したもので、
東北隅には義政が愛用したお茶の井泉の石組みがあり、
今も清らかな水を湧出し、その南に漱蘇亭の礎石が残されています。

銀閣寺の庭園の作者については従来相阿弥であると伝えられてきましたが根拠はなく、
当時の著名な作庭家善阿弥の意思を受けて、子の小四郎、孫の又四郎が完成させたと思われます

上の庭園から京都の町を眺め義政の人生を思うとき、
9歳で8代将軍となりましたが、当時の世情は土一揆、大飢饉が続きます。
さらに自分が迎えた弟義視と我が子義尚の将軍継嗣を巡っての
11年間に及ぶ応仁の乱(1467~1477)の政治的不安と絶望から、
将軍職を義尚に譲りここ東山に風雅の道を求めました。
その悟りの境地をわびさびの世界にに昇華させたのがここに見られる東山文化です。


  正面吉田山

 お茶の井
            
 洗月泉
 錦鏡池と銀閣