去来の墓

落柿舎の裏に廻ると、弘源寺墓地に去来のささやかな墓があります。

高浜虚子は「凡そ天下に去来ほどの小さき墓に詣でけり」との句を残しています。

江戸時代初期、長崎に生まれた向井去来は、少年期に父とともに京都へ移り住み、
武士を捨てて俳諧の道に進み、芭蕉十哲に数えられました。
落柿舎には去来の「柿ぬしや梢は近き嵐山」の句碑があります。

そこから野宮の方へ向かうと、嵯峨天皇の皇女で、
初代の賀茂の齋院として奉仕した有智子内親王の墓があります。

さらに落柿舎の田んぼを挟んだ向かいには、嵯峨野の風情にはやや不似合いな土佐四天王の像があります。
右から中岡慎太郎、坂本龍馬、武市瑞山、吉村寅之助です。
幕末天龍寺を本陣とした長州の久坂玄瑞、木島又兵衛を竜馬、慎太郎が訪ねてきたという伝承に基づき、
四条河原町の土佐藩邸跡にあったこれらの像が近年にここへ移されてきました。


 落柿舎 去来「柿ぬしや…」の句碑
   
 有智子内親王墓
   
   
土佐四天王像
   
 二尊院前の信楽焼の店