彦根城

昨年末の彦根地方は過去にない大雪となり、70センチ余りの積雪を記録しました。
新春を迎え穏やかな日が続iいたある日、雪の彦根城を訪れました。

関ケ原の合戦で功績をあげた井伊直政は
、家康から石田三成の居城佐和山城を与えられます。
しかし、その合戦の鉄砲傷がもとで、2年後に直政は亡くなり
家督を継いだ嫡男直継は山城である佐和山から、市街地のここ金亀山へ城を移しました。
彦根は中山道と北陸道を結ぶ交通の要衝であり、豊臣家の大坂城に対する備えの地でもありました。

築城されてから明治維新の廃藩置県に至るまで、領主は井伊氏14代が在城しました。
歴代藩主のうち6人が7度の幕府大老を勤め、
幕末「桜田門外の変」で討たれた13代井伊直弼は、攘夷か開国かでもめる国政を開国へと導きました。

お城の南、内堀に架かる大手橋を渡り、緩やかな坂道を登ると鐘の丸に出ます。
そこから廊下橋を渡ると長浜城から移されたと伝えられる天秤櫓があります。


 大手橋
 廊下橋と天秤櫓
         

天秤櫓の内部 

 太鼓門