中院山荘跡 鎌倉時代の初め、関東の豪族宇都宮頼綱は出家して蓮生と名乗り、この地に中院山荘を造りました。 その時、頼綱は山荘の障子に貼る色紙の染筆を定家に依頼し、 定家は天智天皇に始まる古来百人の名歌を撰び染筆したことが定家の日記にあり、 小倉百人一首の由来とされています。 中院山荘跡は嵯峨野清涼寺から二尊院への道沿いにあり、 定家の山荘跡といわれる厭離庵もすぐ近くです。