住蓮山 安楽寺 鎌倉時代の初め、法然上人はここから約1キロ東に草庵を結びました。 法然は「南無阿弥陀仏」を称えることによって、 誰でも極楽往生が出来ると説き、弟子の住蓮坊、安楽坊の称える声明は多くの信者を集めました。 中でも後鳥羽上皇の女官として寵愛を受けていた松虫、鈴虫の姉妹は 念仏のありがたさに惹かれ、上皇の紀州熊野詣の留守中に 二僧のもとで出家してしまいます。 激怒した上皇が、専修念仏教団へ弾圧を加えたのが「承元の法難」です。