平安神宮 節分祭

明治28年(1895)平安奠都1100年を記念して行われた「内国勧業博覧会」に、
平安京の大内裏・朝堂院の建物を8分の5に縮小して、復元展示されました。

その年、桓武天皇を御祭神とする平安神宮が創建され、
それらの建物は大極殿、青龍楼、白虎楼、応天門と名付けられ現在も社殿として残されています。

平安神宮の節分祭としての歴史は浅いのですが、
大儺儀(だいなのぎ)は平安時代に行われていた追儺式を
衣装、祭具など詳細な時代考証に基づき大蔵流狂言で復元しています。

追儺は平安時代大晦日に宮中で行われていた鬼払いの儀式で、
四つ目の面をつけ、右手に矛、左手に盾を持った方相氏が内裏の中を「鬼やろう」と叫んで鬼を追い払いました。
応天門から鬼を追い出した方相氏に続いて、上卿は桃の弓に葦の矢をつがえて、四方に矢を放ち厄払いをします。
桃にも魔除けの意味があります。
拝殿では豆撒き行事が行われ、最後に境内で大火焚き行事が行われます。

 応天門の方相氏
 矢を放つ上卿
        

大極殿の豆撒き
  
 大火焚き神事