近衛天皇 安楽寿院南陵

鳥羽離宮跡には白河、鳥羽、近衛天皇の御陵があります。
鳥羽法皇は離宮内に三重塔(本御搭)建てて自らの御陵とし、
さらに皇后美福門院得子のために三重塔(新御塔)を建立しました。

しかし、得子は高野山に葬られることを望んだため、新御塔は近衛天皇陵となりました。
当初の新御堂は慶長元年(1596)の伏見大地震で崩壊し、
秀吉によって本瓦葺二層、宝形造の多宝塔が再建されました。
近衛天皇陵は我が国唯一の多宝塔建築の御陵です。

白河法皇の寵愛深い崇徳天皇を嫌った鳥羽法皇は、
崇徳天皇に譲位を迫り、僅か3歳の近衛天皇を即位させます。
しかし近衛天皇は17歳の若さで崩御されました。
鳥羽法皇は崇徳上皇の推す崇徳の皇子重仁親王を退け、崇徳の弟後白河天皇を即位させました。

これが原因となって保元元年(1156)7月鳥羽法皇が54歳で崩御されると、
後白河・崇徳の間で保元の乱が勃発し、敗れた崇徳上皇は讃岐国へ流されることになりました。

鳥羽天皇 安楽寿院陵 

白河天皇 成菩提院陵 
 
          

 白河・鳥羽法皇院政の地

 鳥羽天皇の冠を埋めた冠石