西岸寺

伏見の幕末の遺跡寺田屋のすぐ近くに、西岸寺があります。
貞享2年(1685)芭蕉は俳諧の道の先輩であるこの寺の任口上人を訪ねました。

境内の芭蕉塚には、文化2年(1805)に建てられた
「我が衣(きぬ)にふしみの桃の雫せよ」 の芭蕉の句碑があります。

伏見城が消滅した跡はそのころ桃畑となっており、
任口上人の徳が桃の花の雫のごとく、わが衣、わが心を潤して欲しい気持ちを詠んでいます。
再会を喜んだ任口上人は翌年81歳で示寂し、墓もここにあります。

境内の地蔵尊は油掛け地蔵と呼ばれ、
昔山崎の油売り商人がこの門前で油桶をひっくり返してしまい、
茫然となった商人は残った油をこの石の地蔵にかけて帰って行きました。

ところがそれからの油商人は商売がますます繁盛したので、今もこの地蔵に油をかけると
商売が繁盛するとして、参拝者が絶えず地蔵は油で黒光りしています。


油懸地蔵堂
 
 油懸地蔵尊
         




寺田屋  
 

 御香宮神社 芭蕉 去来句碑

梅が香にのつと日の出る山路かな 芭蕉

応々といえど敲くや雪の門    去来