菊水鉾

菊水鉾
は幕末の兵火によって焼失し、
戦後の昭和27年に88年振りに再興されました。
昭和の鉾として装飾も鮮やかで、屋根の形が丸みを帯びた唐破風が特徴です。
菊水鉾の名は町内の「菊水井」から名付けられ
、稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという伝説のある菊慈童です。
鉾頭には金色の十六弁菊花が見られます。
前懸と胴懸は川島織物の綴織りで七福神が描かれています。
見送りは岩沢重夫原画の綴錦「深山菊水図」です。
その他三輪晁勢、山鹿清華、皆川月華など昭和芸術家の作品が並んでいます。

菊水鉾の前を行く占出山は神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って、
戦勝の兆しとしたという日本書紀の神話を題材にしています。
神功皇后は安産の神として祀られ、この山の巡行のくじが早い年は安産とされています。
占出山の水引は三十六歌仙の刺繡、
そして前懸、胴懸には日本三景が刺繍で描かれています。

次の芦刈山も謡曲芦刈に基づく夫婦和合の姿を描いています。
前懸の凝視(獅子図)と見送りの鶴図は山口華陽の原画、
胴懸の燕子花(かきつばた)図は尾形光琳の原画です。

 菊水鉾 見送り 深山菊水図

 占出山  三十六歌仙と日本三景天橋立

          
 
芦刈山 燕子花図と凝視(獅子図)

 芦刈山 見送り鶴図