家康と伏見城

今年のNHK大河ドラマは「どうする家康」です。
そこで今回は徳川家康と伏見城を取り上げました。

伏見城といえば秀吉の城として知られていますが、
秀吉が伏見城にいたのは6年間で、その後25年間は徳川家の城でした。

秀吉は慶長3年(1598)病に倒れ、豊臣家の将来を案じ、
秀頼が成人するまで家康には伏見城に残り政治を担当、
前田利家には大坂城で秀頼の養育にあたるよう遺言します。

8月18日秀吉が亡くなり、さらに翌年利家も病死すると、
家康は向島城から伏見城へ移り、人々は「家康は天下人になられた」と噂しました。

関ケ原の戦いで石田三成らの西軍を破ると、
慶長6年家康は伏見に銀座を設置し、銀貨の鋳造にあたり、
慶長8年には征夷大将軍となりました。

慶長10年将軍職を秀忠に譲るまでの2年間は、ほとんど家康は伏見に滞在し、
実質的には首都としての伏見幕府でした。

この写真にある天守閣、表門はいずれも昭和39年に建てられた
模擬のもので、場所も形式も伏見古城とは異なっています。



 復元大手門

 御船入り灯篭  千姫の嫁入り船出の港

          

 向島城本丸跡 駒札


 伏見銀座跡