御香宮神社

御香宮神社は神功皇后を主神とする安産の神で、
秀吉は伏見城建設にあたり城の鬼門除けとして、大亀谷の地に遷しました。

しかし、家康は慶長10年(1605)現在の地にお宮を戻し、
伏見で誕生した家康の9男尾張藩祖義直、
10男紀伊藩祖頼宜、11男水戸藩祖頼房、それに秀忠の娘千姫の産土神としました。

写真の拝殿は紀州頼宜の寄進になり、割拝殿といった特殊な造りに
中国の登竜門の故事に基づいた極彩色彫刻が唐破風に施されています。

表門(重文)は水戸頼房が伏見城の大手門を寄進したもので、
蟇股には中国二四孝の彫刻が施されています。
本殿(重文)は慶長10年家康の命で板倉勝重が普請奉行として再建しました。

10月のお祭りに公開される千姫神輿は、慶長2年9月秀忠の長女千姫の誕生を祝い
秀忠より寄進されたもので、重さ約600貫は日本一の重量と称せられています。

慶長8年7歳の千姫は伏見城舟入から、
大阪城にいる11歳の豊臣秀頼のもとへ嫁いでいきました。

 
御香宮 表門
 御香宮 本殿
          

千姫寄進の神輿
 
 大手筋通りの大鳥居