清涼院

今の伏見城の近く、京都市内を遠望する高台に清涼院があります。

ここは元伏見城のお花畑山荘があり、
家康は側室お亀の方をこの草庵に住まわせました

家康が石清水八幡へ参詣したとき、社家志水家の娘お亀が子を行水させていたのを家康に見られ、
あわててたらいごと子供を担いで隠したそのお亀の怪力に 
家康が惚れこんだと伝えられています。

やがて二人の間に生まれたのが家康の9男五郎太丸で、尾張藩祖徳川義直となりました。
今でも清涼院の地名は深草大亀谷五郎太町と
母子の名が町名に残されています。

お亀たちが駿府へ移った後、屋敷は八幡正法寺が管理し、正法寺には志水家の菩提寺として
相応院(お亀)が本堂、唐門、大方丈を寄進しています。

その後、黄檗宗万福寺の清涼観了が入り清涼院となり、
現在は浄土宗知恩院派の尼寺となっています。
お寺にはお亀の肖像画や義直の若いころの木像があります。

境内は門もなく庵そのままの風情が残され、夏から秋にかけては百日紅の花が美しいです。


 清涼院 入口

 清涼院 本堂

          
 八幡 正法寺 庭園
正法寺 お亀寄進の大方丈(重文)