知恩院

家康は浄土宗の信者であり、浄土宗総本山である知恩院には

母於大の方の菩提を弔うため寺領703石余を寄進し、徳川家の永代菩提寺としました。

日本最大といわれる三門(国宝)は、慶長5年(1619)秀忠が寄進し、
寛永10年(1633)の堂宇の火災後には家光が本堂御影堂(国宝)をはじめ、現在の堂塔を再建しています。

除夜の鐘としてつかれる梵鐘(重文)は、
寛永13年の鋳造で日本最大のものとして三大梵鐘に数えられています。
家康はこの境内を戦乱時における城郭として備え、北門の石垣などに城壁としての名残が見られます。

境内の奥、濡髪堂の近くの墓地に千姫の墓があります。
千姫は秀忠の長女として伏見城内で生まれました。
7歳で秀頼に嫁ぎ、大坂夏の陣では家康の命で無事救出されました。

その後、桑名藩本多忠刻に再嫁し、忠刻は姫路藩主となりますが死別します。
晩年は江戸城へ戻り出家して天樹院となり、寛文6年(1666)享年70歳で数奇な人生を終えました。

 知恩院本堂

 除夜の鐘試し撞き

        

 城壁を思わせる石垣
 
千姫墓