楼門五三桐 (さんもんごさんのきり)

天下の盗賊石川五右衛門と言えば、
歌舞伎「楼門五三桐」で南禅寺三門の上から周囲を見渡して
「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ」と大見得を切る姿が浮かんできます。

しかし、南禅寺の三門は文安4年(1447)に焼失し、再建が寛永5年(1628)であり、
五右衛門の生存中には三門は再建されていません。

悪党である五右衛門の記録が後世に伝えられることは少なく、
いずれも伝承の域を出ないのですが、
文禄3年(1594)に盗賊の親分一族が三条河原で釜茹での刑に処せられたと
宣教師の日記にあり、実在した人物と思われます。

出身についても諸説あり、京都では丹後の伊久知城を本拠とした石川氏の出とした説があります。
石川氏は丹後一色氏の家老でもありましたが、
細川藤孝によって攻められ伊久知城は陥落します。
そのとき父を殺された五右衛門は伊久知城を離れ、伊賀で忍術を学んだ後 
京へ出て盗賊となりました。

その他生誕地としては、遠江、河内なども挙げられています。


  三門から東山を望む

南禅寺三門
 
          

 五右衛門生誕の地 伊久知城趾への道

その辺り幾地村風景