大雲院 石川五右衛門の墓地

円山公園から高台寺へ抜けるところに、祇園閣の建つ大雲院があります。
祇園閣は大倉喜八郎が昭和3年に別荘として建てたもので、
大雲院は昭和48年寺町四条下るから高島屋の拡張にともないここへ移されてきました。

大雲院は本能寺の変で亡くなった織田信長と信忠の菩提を弔うために
天正15年(1587)貞安上人によって創建されました。
ここには織田信長・信忠の墓と石川五右衛門の墓があります。

五右衛門は処刑の前に市中引き回しにされたとき、
大雲院の前を通りかかり住職の貞安上人が引導を渡した縁により墓は造られました。

文禄3年(1594)8月24日伏見城で捕らえられた五右衛門とその子及び一族は、
三条河原で釜茹でにして処刑されました。
「石川や浜の真砂は尽きぬとも 世に盗人の種はつくまじ」  石川五右衛門辞世の句です。

処刑の場所場所については六条河原との説もあり、
その下流には釜茹でにした釜が流れ着いたところとして釜ケ渕の名が残されています。

 石川五右衛門墓所

 織田信長 信忠墓所 

          

 三条河原 

 六条河原