井手寺跡(井堤寺)と六角井戸

諸兄は奈良時代の皇族の出身で、母は後に藤原不比等と再婚します。
そこで生まれた娘が聖武天皇に嫁ぎ光明皇后となりました。
そのような縁から諸兄は橘の姓を与えられ、
橘氏の祖として奈良時代の政界の最高位につきました。

井手寺(井堤寺)は橘諸兄が橘氏の氏寺として建てたもので、
金堂や三重塔など七堂伽藍が揃った大寺であったと伝えられています。
のどかな田園風景が広がるこの辺り、近年の発掘調査からその境内が240m四方に及び、
法隆寺式伽藍配置であったと思われます。

今はこの建物の前に「井堤寺故址」の碑が建っています。
橘諸兄は風光明媚なこの井手の里を橘氏一族の本拠地としました。

諸兄の屋敷の跡には、六角形に石組された「六角井戸」が残されており、
万葉集には752年諸兄宅で聖武天皇、大伴家持らと歌の宴がもたれたとあります。


 井手寺跡

 井手寺 橘諸兄歌碑

我がやどに咲けるなでしこまひはせむ ゆめ花散るないやをちに咲け

              

 六角井戸

 六角井戸 橘諸兄歌碑

葎はう賤しき屋戸も 大君の坐さむと知らば 玉敷かましを