小町塚と南山城水害碑
地蔵禅院の手前に自然石を重ねた重厚な小野小町の供養塔があります。
小町伝説は各地にありますが、ここでは山科に住んでいた小町のもとへ深草の少将が通い続け、
99日目に山科から姿を消した小町は橘諸兄を慕って井手へやって来たといいます。
井手寺に住まいした小町は、ここにあったホウガン堂において69歳で亡くなったと伝えられています。
塚の横には小町歌碑があります。
色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹花
南山城水害については、昭和28年8月14日から15日未明にかけて南山城を襲った集中豪雨で
大正池や玉川が決壊し、井手町に甚大な被害をもたらし
玉川上流からは6トンの巨石がJR玉水駅まで流されきて、今も駅に残されています。
その時の死者は107名、全壊・流出家屋は178戸といった大災害でした。
玉川渓谷では江戸時代から水車による大規模な油製造などが行われてきましたが、明治以降は電力に代わり
南山城水害で往時をしのぶ水車小屋も流出し、今宮本水車旧址に面影が復元されています。
小町塚 小町歌碑 色も香もなつかしきかな蛙鳴く 井手のわたりの山吹花 |
南山城水難者慰霊塔 |
玉川駅に流れ着いた大石 | 宮本水車址 |