清涼寺 仁王門

天龍寺から清涼寺へ行く道は、嵯峨の中心道路として朱雀大路と呼ばれていましたが、
その後清涼寺に釈迦が祀られると、いつしか出釈迦大路(しゅっしゃかおおじ)と呼ばれるようになりました。

出釈迦大路を北へ突き当たるところに
嵯峨の釈迦堂として親しまれている清涼寺の仁王門があり、
正面に「五台山」の額がかかり、
門の左右には室町時代作の金剛力士像(仁王)、上層部には十六羅漢が納められています。

平安時代ここには河原左大臣源融(とおる)の別荘棲霞館があり、融の没後彼の遺志によって棲霞寺となりました。
源融は嵯峨天皇の皇子で源氏物語の光源氏のモデルともいわれ、
宇治の平等院、六条河原院(枳殻邸)にも山荘を持っていました。

その後東大寺の僧奝然(ちょうねん)が宋から釈迦像を持ち帰り、
奝然の没後弟子の盛算が釈迦堂を建て、華厳宗五台山清凉寺としました。

仁王門から境内に入る、と左手に多宝塔があり、
その後ろに源融の墓と父嵯峨天皇と檀林皇后の宝塔があります。


 法然上人 求道青年像

 多宝塔
          
源融墓 

 嵯峨天皇・壇林皇后宝塔