総見寺 (大徳寺 塔頭)
信長一族墓 手前から3番目信長墓

    天王山の戦いで光秀を破った秀吉は、10月大徳寺において主君信長の葬儀を主催し、
信長の後継者としての地位を世間に印象付けます。
さらに信長の菩提を弔うため、古渓宗陳を開山として信長の法号総見院に因み、総見寺を建立しました。

最初、秀吉は阿弥陀寺清玉上人に、信長一周忌の法要を依頼しましたが、
信長の後継を狙う政治的意図を見破り、
法要を辞退したので大徳寺に総見寺を建立したとも言われます。