島原大門

西本願寺の北の塀に沿って花屋町通りを西へ歩いて5分あまり、島原の東大門に至ります。
出口の柳とともに、慶応3年(1867)に再建された高麗門に華やかだった頃の花街の面影がしのばれます。
堀と塀に囲まれた島原遊郭には昔は東西二つの門がありました。
島原の歴史は古く、天正17年(1589)秀吉によって日本最初の「公許花街」が二条柳馬場に造られ、
六条西洞院を経て寛永
17年(1640)この地に移りました。
その時の移転騒ぎが、九州で起きた島原の乱にも例えられ、ここは島原と呼ばれるようになりました。