塩汲み踊の少女たち

八瀬の里は古くから御所とのかかわりが深く、南北朝のころ後醍醐天皇が比叡山に難を避け
られたとき、村人が道中を警護した功により、村は年貢使役が免除されてきました。

しかし、宝永4年(1707)比叡山との境界争いで、その利権が失われようとしました。
村人は幕府に上訴し、老中秋元但馬守喬知の裁きにより免除措置はは今まで通りとされ、
八瀬の人々は氏神社天満宮の隣に秋元公を神として祀りました。
その感謝、喜びの気持ちが風流踊として今に伝えられています。

1213歳の可憐な少女たちが花笠に提灯を下げて行列を先導します。