東山36峰静かに眠る丑三つどき 突如として起こる剣戟の響き



都名所図会
           東山散策

 比叡山から南禅寺へと連なる東山の北部はいつも静かである。
藍墨色の濃淡で画かれた山容には、桜花の艶やかさもなければ紅葉の華麗さもない。
わずかに春霞の中に遠く聞こえる鐘の音や、時雨に煙る寺院の甍に四季の移ろいを感じる

 それでも、東山の山襞のひとつひとつに表情があり、その表情の陰に東山の歴史が隠されている。
あるときは義政が東山文化を築き、またあるときには芭蕉が、そして蕪村が杖をひき、遠く俊寛が平家の滅亡を謀るなど、いろいろなドラマが繰り返されてきた。

 東山が秋の夕日に照らされて、スポットライトを浴びた舞台のように明るく浮かび上がることがあるが、それも束の間にして陽が傾くといつもの夕闇につつまれてしまう。
あたかも、各時代においてクローズアップされた歴史の舞台が、過去のものとして東山の静寂につつまれるように、ここでは幾多のドラマが繰り返されてきた。

 先人の旧跡をしのび、ひとり静かに昔への思いを馳せるとき、庵のひとつひとつが語らい、路傍の草木が私たちに話しかけてくる。
修学院から岡崎まで、静かに山麓の逍遥を楽しもう。

賀茂川から望む比叡山

大文字山と三十六峰


         東山三十六峰

 しかし、三十六峰とはどこから始まり、どの峰とどの峰を指すのかは諸説あって定かではない。
むしろ、三十六峰という語句が先に生まれて、後の人々が現在の地形に、その名を当てはめようとしている。

 東山を三十六峰と優雅に表現し、世に紹介したのは江戸後期の詩人頼山陽といわれている。
頼山陽は、文政六年(1823)鴨川のほとり東三本木に、山紫水明処と称する簡素な庵を結び、鴨川の清流を隔てて望む東山の姿をこよなく愛した。
そこから、中国の名峰嵩山が六六山ならば、東山こそ六六峰、すなわち三十六峰にふさわしい山であるとし、自らの号も「三十六峰外史」と称した。

だが、京都を知らぬ人々にまでその名を知られるようになったのは、活弁華やかなりし頃の名セリフ
「東山三十六峰静かに眠る丑三刻、突如として起こる剣戟の響き…」
であるが、そのセリフさえも今や知る人も少なくなってしまった。               
 

春の疏水と舞妓

この原稿は、昭和52年頃某出版社から写真文庫「東山散策」として書いてみないかと誘われまとめたものです。
しかし、本はオイルショックで出版されることなく、原稿だけが忘れられて本箱の片隅に眠っていました。
それから30年余り、当時の雰囲気のままにホームページに再現してみようと思いました。。
三十六峰を語る活弁のせりふも今は死語となり、当時のNHK大河ドラマは「花の生涯」で、村山たか女については特に委しく書いています。
久しぶりに東山を巡り、昔三高生が思索にふけり逍遥した哲学の道も、今は人力車の通る観光道路となり、
永観堂の庭も自由に散策できなくなっていました。
夏の朝は3時、冬は4時から修行が始まると聴いた円光寺のの「尼僧専門道場」も今はなく、
詩仙堂の前には野仏庵が移築されており、八大神社の武蔵の像もはじめて知りました。
どのお寺もすっかり整備され美しくなってはいましたが、昔の心安らぐ静寂な東山の雰囲気がなつかしくおもいだされます。