手前の砂盛の上には四季の文様が描かれている
             法然院

 銀閣寺から南へ山裾をたどると、ほどなくして法然院に出る。

 平安朝末期、比叡山に学んだ法然は、世俗化し宗教的精神を失った既成宗教では人々は救われぬと考え、貧富、貴賎、男女を問わず誰でも唯「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで極楽浄土に往生できるという浄土の教えを民衆に説いて、この地の東に念仏道場を開いた。
この法然上人ゆかりの地に、延宝8年(1680)知恩院の萬無心阿上人は宗祖をしのび、浄土宗の寺、法然院を建て、二世忍澂が更に寺観を整えた。

 深い緑につつまれた静かな参道を歩むと、正面に風雅な茅葺門があり、その向うに広がる林泉のたたずまいは、さながら浄土の世界を思わせる。 
  
 本堂のご本尊阿弥陀如来の直壇には、菊、槿、椿等四季折々の切花が二五並べられており、散華と呼び散り果てぬべき花の命を、仏に供えてもう一日役だてている。
唐から伝わり、法然上人を経て今なお唱えられている六時礼賛は、静寂な境内に佇んでいると、どこからともなく礼賛の声が聴こえてくるような気がする

    
          法然院山門                   堂本印象襖絵
   
ご本尊の前に散華がある
 
松尾いはほ句碑
 方丈には狩野光信(重文)と堂本印象晩年の大作になる襖絵がある。
また、境内には谷崎潤一郎、福田平八郎、河上肇、内藤湖南等多数の文化人の墓がある。

 参道横には松尾いはほの句碑がある。
「椿落ちて 林泉の春 動きけり」
      
 
谷崎潤一郎夫妻墓

                安楽寺

 法然院のすぐ南に、住蓮山安楽寺がある。
瀟洒な茅葺門を入ると、さして広くない境内にさつきが植え込まれ、春には紅の花と東山の翠が溶け合って清々しい。
 その昔、この奥に法然上人の念仏道場があり、女人も救われると聞く浄土の教えを慕って、松虫、鈴虫という二人の女官が訪ねて来た。
やがて、若き住蓮坊、安楽房の二僧の熱意を込めた説法に魅せられたのか、あるいはあやしき女心の迷いからか、二人は落飾して仏門に帰依する身となった。
   
住蓮山安楽寺 山門
 
安楽寺本堂と庭園
   だが、二人は後鳥羽上皇の寵姫であることが知れ、しかも上皇の熊野詣の留守中のこととて、上皇の怒り激しく、住蓮、安楽の二僧は斬罪に処せられ、師法然は讃岐へ、弟子親鸞は越後へ配流された。
松虫、鈴虫の2人も瀬戸内の生口島へ流され、その地に今も墓が残されている。
 この事件を建永の法難というが、念仏以外一切の宗教を否定した法然への、他教団からの弾圧を背景として起こったものである。
延宝9年(1681)住蓮、安楽の供養のために建てられた浄土宗のこのお寺には、二僧の五輪塔と松虫、鈴虫の苔むした小塔があり、美しくも哀れな物語をしのび訪れる人も多い。
 

 
松虫 鈴虫 供養塔
 
 
住蓮 安楽供養塔