南禅寺

 インクラインにかかる南禅寺橋のたもとに「大本山南禅寺」の石碑があり、そこから茶店料亭の並ぶ参道が東へ伸びている。
 中門(慶長4年、1599)をくぐると、左に勅使門(寛永18年、1641)、そして三門、法堂(明治42年)、本坊等禅宗伽藍が並び、更に左右に専門道場や金地院、天授庵の塔頭が続いている

 ここは瑞龍山太平興国南禅寺と号し、臨済宗南禅寺派の大本山である。
文永元年(1264)亀山上皇は、この地の景観を殊に愛され、離宮禅林寺殿を造営された。
しかし、夜な夜な物の怪に悩まされ、東福寺の無関普門(大明国師)を招じて祈祷されると平癒したところから無関に深く帰依され、正応4年(1291)離宮を喜捨して禅刹とされた。

 更に二世規菴祖円(南院国師)の手によって伽藍も整い、至徳3年(1386)足利義満が京、鎌倉に五山の制を定めると、当寺には「五山之上」とする最高の寺格が与えられた。
しかし、明徳4年(1393)の叡山僧徒の焼き討ち、文安4年(1447)の火災、応仁元年(1467)の兵火と続き、伽藍は灰燼に帰し現在の堂宇は桃山時代以降に再建されたものである。
 
 
           南禅寺三門

 清らかな松林の中に仰ぎ見るばかりの巨大な三門は、歌舞伎「楼門五三桐」で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな、春の眺めは価千金とは小さなたとえ、この五右衛門が自らは万両……」と大見得を切る名場面で知られている。
しかし、この三門は寛永5年(1628)藤堂高虎が、大坂の陣の戦死者の菩提を弔うために再建したもので、五右衛門処刑後にあたり伝説に過ぎない。

 楼上には本尊釈迦如来と十六羅漢が並び、天井は狩野探幽、土佐徳悦の筆になる極彩色の鳳凰、天人の図が画かれている。
門前には佐久間勝之が奉納した日本一という大きな石灯篭がある。

   
            本坊 庫裏 
   
南禅寺山門
   
方丈 虎の子渡しの庭

 
法堂 天井に今尾景年幡龍図がある
                  南禅寺本坊

 大方丈(国宝)は天正年間の清涼殿を、慶長16年(1611)後陽成天皇より下賜されたもので、桧皮葺、入母屋寝殿造りの優雅な建物である。
大方丈に接続する小方丈(国宝)は伏見城の遺構であり、ともに桃山時代の公家、武家の生活をしのぶことができる。
大方丈の襖絵は、狩野元信、永徳筆と伝えられる雄渾な金碧画で、小方丈の竹林群鶏図は狩野探幽筆になり世に水呑みの虎として名高く、豹は虎の雄として描かれているのが面白い。

 方丈庭園は、東南の一隅に石組みと植栽をまとめ、前面の白砂の空間、背後に迫る東山の翠とで構成された枯山水の名園である。
江戸初期の小堀遠州の作と伝えられ、俗に「虎の子渡し」の庭と呼ばれている。

 
大方丈庭園

 
大方丈
             金地院

 金地院は、応永年間(1394〜1428)大業和尚が足利義持の帰依を得て、北山鷹ヶ峰の地に創建したが、慶長年間(1596〜1615)に以心崇伝によって南禅寺のこの地に移された。
 崇伝は徳川家康に仕え、外交関係の事務を掌る一方、寺院、公家、武家等の諸法度を起草し、紫衣事件や方広寺鐘銘事件をも策動するなど、その権威は黒衣の宰相として畏怖された。

 方丈(桃山・重文)は慶長16年(1611)伏見城の遺構を移したもので、室内の襖絵は狩野探幽、尚信の筆になり、正面には山岡鉄舟の「布金道場」の額がある。

 小堀遠州の作になる「鶴亀の庭園」は、前庭の白砂を海洋にみたて、東に亀島、西に鶴島、その中程に東照宮の遥拝石を配し、背後の蓬莱山の石組みが残る豪壮な枯山水の庭である。

 境内の南にある東照宮(江戸・重文)は、崇伝長老が寛永5年(1628)家康をしのび建てたもので、拝殿と本殿を石の間で結んだ代表的な権現造である。
 
鶴亀の庭 中央遥拝石
       
金地院山門                                        東照宮
 

南禅院庭園

             南禅院

 南禅寺の境内に、明治の中頃第二疏水の水路として設計された、ローマ風アーチ型の水路閣がある。
風にさらされ、寂びを加えた赤レンガの色は、寺院の景観にひときわ雅趣を添えている。

 その水路をくぐり少し石段を登ると南禅院がある。
この地は亀山上皇が離宮禅林寺殿を営まれた所で、今なお残る幽邃閑寂な庭園は、鎌倉末期の離宮庭園としての面影をとどめる貴重な遺構である。
無窓国師の作庭と伝えられ、東南隅の滝口から流れ落ちる滝は、蓬莱島を浮かべた曹源池を経て下の心字池へそそぎ、秋の紅葉の頃は殊に風情豊かな池泉廻遊式庭園である。
亀山上皇はこの離宮で落飾され、法皇として晩年を過ごされた。
現在の建物は、元禄16年(1703)、徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再建されたものである。

 南禅院から疏水の支流に沿って、心静かな散策の小道が続き、山陰を抜けるとひとりでに蹴上の舟溜りに出る。

    
曹源池 滝口
                 
                  水路閣


              天授庵

   三門のすぐ隣に、慶長7年(1602)細川幽斎によって再興された   天授庵がある。
  南禅寺の開山大明国師の塔所であり、池泉廻遊式庭園は静寂な風   情につつまれて心安らぐ場所である。

 
天授庵庭園