無鄰菴

 南禅寺橋の西畔を疏水沿いに行くと、左手に無鄰菴の白い土塀が続いている。

 無鄰菴は明治の元勲山県有朋が明治27〜29年にかけて別荘として営んだもので、三万二千平米の敷地には閑静な木造二階建て母屋と古風な洋館、それに藪内流の燕庵を模して造ら
れた茶室があり、東山のやわらかな山容を背にした借景の庭園が広がっている。 
   
庭から見た母屋
 
東山を借景にした庭園
   これは有朋公自ら設計、監督して小川治兵衛に造園させたもので、三段の滝組から流れ落ちる水は池を造り、芝生の間をぬって渓流となり、自然の風景を巧みに表した景趣豊かな明治の代表的庭園である。
 
 明治36年4月21日伊藤博文、山県有朋、桂太郎、小林寿太郎の四者がこの庵に集い、我国の外交方針について協議したことは、一年後の日露開戦への大きな意味を持つものであった。
昭和16年に京都市に寄贈された。       
  

 平安神宮大鳥居
 
 
応天門
               平安神宮

 平安神宮は市民の憩いの場所岡崎公園にある。
明治28年、平安奠都千百年を記念し、都を京都に遷された桓武天皇をご祭神として創立され、昭和15年には京都での最後の天皇である孝明天皇も合祀された。
それに因み、社殿は平安京の大内裏の正庁朝堂院を約八分の五に縮小して造営されている。

 丹塗りの応天門をくぐり、白砂の敷き詰められたおおらかな境内に入ると、正面に一段高く大極殿と称する拝殿があり、その前には左近の桜、右近の橘が植えられ、大極殿から回廊に結ばれて東に蒼龍、西に白虎の楼閣がある。

 建物はいずれも碧瓦に丹塗りの柱で、古式をかたどって再現されており、衣冠束帯に威儀を正した文武百官が居並ぶ王朝の昔がしのばれる
社殿背後の三万三千平米におよぶ神苑は、東、西、中、三苑に分かれ、それぞれに林泉を巡らせ、春の紅枝垂桜、初夏の菖蒲の咲く頃は殊に美しい。

 十月二十二日の時代祭は、平安遷都から明治維新までの風俗行列が都大路を練り歩き、古都にふさわしい絵巻を繰り広げる。


 
   
大極殿
   
青龍楼
     
 
 栖鳳池に影を落とす橋殿と枝垂れ桜

東神苑  泰平閣(橋殿)    中神苑 蒼龍池と臥龍橋